OLヨムコが新聞よむわよ

20代独身OLが新聞を読み比べます。

    こんにちは、新聞ヨムコです。趣味は新聞です。
    当ブログでは新聞の報道姿勢比較、事件を深く掘り下げ、はたまたくすっと笑えるような記事を紹介します。おもしろい記事はリツイートやシェアしてね!

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    タグ:朝日新聞

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    I'm stuck with a valuable friend / monkeytime | brachiator


    【読売新聞】米教科書の慰安婦記述に首相「がくぜんとした」

     安倍首相は29日の衆院予算委員会で、米国の公立高校向けの世界史教科書のいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる記述について、「本当にがくぜんとした。訂正すべき点を国際社会に向かって訂正してこなかった結果、このような教科書が使われている」と述べ、今後、日本として積極的に正確な情報の発信に努めていく考えを強調した。
     問題の教科書は、米大手教育出版社「マグロウヒル」(本社・ニューヨーク)が出版した。慰安婦問題について、「日本軍が最大20万人にも及ぶ14~20歳の女性を強制的に募集した」「日本軍は天皇からの賜物たまものであるとして、女性を提供した」――などの記述がある。

     首相は「国際社会はつつましくしていることによって評価されることはない。主張すべき点はしっかり主張していく」と語った。質問した自民党の稲田政調会長も、「過去の問題ではない。米国にいる日本人の子どもの人権が侵害されている」と主張した。 外務省は2014年11月、問題の教科書がカリフォルニア州の一部地域で推薦の指定を受け、実際に使われていることを確認。ニューヨーク総領事館を通じて、同社と執筆者に訂正を申し入れた。同省によると、これまで明確な回答はないという。
    米国の公立高校向けの世界史教科書のいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる記述について、安倍総理が「がくせんとした」と述べたという記事。

    各新聞社の反応をまとめました:

    読売新聞
    【政治面】米教科書に首相「がくぜん」 慰安婦「最大20万人 日本軍が強制集約」(見出しの大きさ:4段) 
    産経新聞
    【2面】首相、米教科書に「愕然」 慰安婦歪曲 国際発信強化へ(見出しの大きさ:2段)
    朝日新聞
    【政治面】慰安婦問題巡り「しっかり主張」 首相、国際社会に向け(見出しの大きさ:1段)
    毎日新聞
    関連記事なし!(少なくとも私の地域の毎日新聞紙面では)
    見出しの大きさは段数が多ければ多いほど、その新聞社が記事について、ニュースバリューが高いと判断していることを示唆しています。


    詳しくはこちら→「段数とは」
     

    ということで、読売が一番大きく取り扱っていましたが、産経は教科書のことを「歪曲した教科書」と名付けて記事にしていました。何とも産経らしい強引さ。

    ちなみに朝日新聞も掲載はありましたが、扱いは小さく、内容もとてもアッサリしていました。自国の教科書で慰安婦に関する記述が消されるときはやたらと怒っていたくせに・・・→【朝日社説】「教科書から従軍慰安婦消してんじゃねーよ」
     
    んでもって毎日新聞。完全スルー!慰安婦問題ってすごくナイーブな話。国民の関心も高いはずだし、さすがにスルーってのはないと思う 。

    っま米教科書での慰安婦記載問題に関しては前から報道されていたことですしね。安倍総理がコメントしたところで今更って感じもあるのは事実・・・ 

    教科書って難しいわー 。でもロスのキッズってそんなに勉強熱心なのかしら

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    Leftwing newspaper. / MIKI Yoshihito (´・ω・)


    池上彰さんのコラム「新聞ななめ読み」が1月30日の朝日新聞朝刊で復活しました。その中で朝日の組織としての問題を指摘しました
     朝日はなぜ長い間訂正しなかったのか。「朝日が反日だから」などという批判もありました。
     しかし、私はそうは思いません。朝日新聞は、日本の大企業にありがちな、典型的な誤りを犯したのではないかと考えています。それは「問題の先送り」です。ここで私が想起するのは、バブルがはじけた後、不良債権が積み上がるのを見ながら、何もしないで処理を先送りしてきた日本の金融機関の失敗の数々です。
     バブルの最中に土地を担保に融資した資金の多くが、バブル崩壊後に焦げ付きました。担保にしていた不動産を直ちに処分していれば、不良債権処理は、それほど大変なものではなかったはずです。
    ・・・
     各金融機関の歴代トップは、「自分の在任中にさえ問題が起きなければ、それでいい」と、先送りを続けたのです。
         *
     朝日新聞も、問題先送りを続けてきたのではないか。朝鮮半島での強制連行の証言を報道した後、これを否定する他社の報道があったにもかかわらず、事実関係の検証をしませんでした。
    ・・・
     朝日新聞の対応も、同じようなものではなかったのか。そう考えると、朝日の失敗は、典型的な日本的企業の失敗と言えるのではないか。朝日新聞は過去に金融機関の問題先送り体質を批判してきました。自社もまた同じだった。この自覚と反省から再生への取り組みをすべきではないかと思えるのです。
    つまり朝日新聞は反日だから問題だというわけじゃなくて、旧体質だから問題だったということね

    うん。間違いない。

    朝日新聞というか、日本にある組織の多くって波風たてることを嫌う。
    例え正しいことを主張しても「輪を乱す」ことは日本社会において必要以上の制裁をうけてしまう。
    みんなの共通認識を察し、自分の意思と関係なしに賛同する、それが「空気を読む」ということ。

    組織で「空気を読む」ことは時に大きな連帯感をうみ、意思決定スピードにも大きく影響する一方で、本来は組織にとって有益な意見を言っている「空気を読めない」人が排除されてしまうというマイナス面がある


    今の慰安婦報道の空気とは、日本側のマイナスになることを言わないこと


    勿論、日本への信頼を大きく失墜する誤報を書いた朝日は批判を浴びるべき。そして深く反省するべき


    でもだからといって朝日は反日だとは決めつけられない。たしかに空気は読めないのかもしれないけど。
    国を愛するが故にあえて厳しいことを言う。朝日はそんなマスコミであってほしい。
    当たり前ですが、事実に基づいて、ですけど。


    それにあの朝日新聞社旗って韓国人が大嫌いな旭日旗じゃないの。本当に反日だったらまずそこから変えるでしょう。












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    Zero fighter from Planes of Fame / tataquax


    産経新聞のコラムが朝日新聞のコラム「素粒子」を批判しました。
    問題としているのは1月13日付のもので、以下の通り
    「素粒子」―1月13日
    日中韓にそんな日が来るだろうか。独仏首脳が、イスラエルとパレスチナの指導者が隊列を組む姿に目を見張る。

     欧州の自由と連帯のプラカードの裏側は寛容と多様性のはず。嫌悪や排斥が忍び込む風潮は日本のいまとも似て。

     少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった。
    http://www.asahi.com/articles/ASH1B3CTQH1BUSPT006.html
    相変わらず朝日っぽいコラムね。 頭よさげに書いているのが鼻につくわ! 私が馬鹿なだけだって?うるさいわね!
    これについて産経新聞は1月19日のコラム「戦後70年」で以下のように批判しています
     今月13日付朝日新聞の夕刊コラム「素粒子」に「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に称賛を送った国があった」という記述があった。
     わずか4行だが、この記事を読んで言葉を失った。というより強い怒りがこみ上げてきた。特攻隊とテロを同一視しているからだ。
     広辞苑によると、テロはテロリズムの略で、(1)政治目的のために、暴力あるいはその脅威に訴える傾向。また、その行為。暴力主義(2)恐怖政治-とある。
    え。。。。テロと「同一視」!?

    そもそも朝日と素粒子にはテロという文言すら出ていないのに


    たった4行の文で同一視してるなんて断定できるの!?
    日本語って難しいわ・・・・

    (産経コラム続き)
    無差別攻撃行わず


     特攻隊は敗戦が濃厚になり、抜き差しならない環境の中で採用された究極の戦術だった。標的は軍事施設だけであり、決して無辜(むこ)の民は標的にしなかった。無差別攻撃を行うテロとは根本的に違うのである
     戦争という非常事態の中で、国をどう守るのか。指揮官も出撃した特攻隊員も、思いは複雑だった。
    つまり「相手は一般人ではなかったし、戦争という非常状態だったから特攻には仕方ない部分があったでしょう。正直複雑な気持ちだったけど」って感じかしら。

    しかし「戦争という非常状態」だったからっていうのは無責任な言い訳だわ

    だって 戦争という非常状態っていうのは今のイスラム国も一緒。
    日本は「人道的支援をしているだけ」でこの戦争には関係ないって主張してるけど、イスラム国にとってはそんなことは関係なくて、日本がなんというと日本は敵国なんでしょう。こちらが理解できないくても、非常状態だから一般常識をそこに用いても仕方が無い。

    その「非常状態」を理由の一つに「テロとは根本が違う」と主張するのはおかしい。

    ただ、無差別か、そうでないか、とい意味ではテロと特攻はたしかに違うのかも

    でもね、朝日で書いていた「少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣」、
    これってそもそも本当にテロ行為なの? 無差別攻撃なの


    もし朝日が「911」と特攻を比べていたら産経の主張はわからんでもない。でもこれって爆弾少女の話だよ。

    私はデータも持ってないし正確なことは分からない、しかしニュースなどで見る限り主に米軍関連施設などを狙っていた印象がある。
    産経は爆弾少女がつ無差別に攻撃していると主張するなら、それなりのデータを記事で示してほしい。
    (産経コラム続き)
    日本人の誇り奪う


     特攻は、宗教思想を曲解した行動とは根本的に違うのである。朝日新聞は昭和19年10月29日付1面で、「身をもって神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨(きすう)分かれんとする決戦段階に処して身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じ、一億総特攻を扇動するような記事さえ掲載している。にもかかわらず、その責任には触れず、特攻隊の英霊を冒涜(ぼうとく)、日本の伝統的価値観の象徴でもある特攻隊の誠を踏みにじり、日本人から「日本人の誇り」を奪うような論調は決して容認してはならない。(編集委員 宮本雅史)
    朝日の戦時中の報道はたしかによくない。でもそれって朝日に限ったことじゃなかったはず。
    さらに産経記事で「その(記事を書いた)責任には触れず」とありますが、朝日はあの短いコラムの中でそこまで触れるべきだったの?

    っというかたかがあんな短いコラムのことで戦争中に朝日が書いた記事を持ちだしてくるのはどうかしている。
    それこそ非常状態だったんからああいう記事が出ても仕方ない部分あるんじゃないの?


    そもそもマスコミ全体で、太平洋戦争時の報道姿勢に反省していると思うし、かなり今更感がある産経はまるでいつまでも謝罪と賠償を求める韓国のようだわ。
    っというか、政府を監視する今の朝日の報道姿勢の原点がそこにあるのでは。

    ちょっとこの産経のコラムは読むに堪えない。話が飛躍しすぎだ。朝日イジメにしかみえない。

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    The outbreak of the war! / MIKI Yoshihito (´・ω・)


    阿比留瑠比の極言御免 メディアのヘイトスピーチ

     またかとうんざりし、気がめいった。安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年の首相談話をめぐり、27日付の東京新聞が平成7年の「村山談話」継承を求める社説でこう書いていたからである。
     「首相はかつて『侵略の定義は定まっていない』と国会答弁した。侵略を正当化する意図を疑われ、国際社会の一部から『歴史修正主義的』と厳しい視線が注がれている」
     朝日新聞と毎日新聞の4日付社説もそれぞれ、同様のことを指摘していた。
     「自民党議員の質問に、『侵略の定義は定まっていない』と応じて批判を浴びた」(朝日)
     「首相自身も『侵略の定義は定まっていない』と述べて物議を醸したことがある」(毎日)

     自分たちが率先して首相を批判しておきながら、第三者が問題視しているように書く手法もいかがなものかと思うが、問題はそれだけではない。
    これらの社説を座視できないのは、何よりこれが首相への偏見や無知に基づく不公正で不適切な見解の表明だからだ。
     以前から当欄で繰り返し指摘してきたことだが、馬の耳に念仏のようなのでもう一度書く。村山談話の発表者である村山富市元首相自身が7年10月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである。
     「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」
     つまり、安倍首相はあくまで従来の政府見解をそのまま述べたにすぎない。現に第1次安倍内閣当時の18年10月にも、こんな政府答弁書を閣議決定している。
     「『侵略戦争』と『戦争責任』の概念について、国際法上確立されたものとして定義されているとは承知していない」  これだけではない。麻生太郎内閣時代の21年4月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。
     「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」
     さらに、民主党の野田佳彦内閣時代の24年8月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相(現民主党選対委員長)もこう述べた。
     「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だからなかなか明確な定義というものができないのかなと」
     一方、毎日新聞は25年12月27日付社説でも安倍首相を批判して「首相は国会で、大戦について『侵略の定義は定まっていない』と侵略を否定したと受け取られかねない発言をした」と記している。
     全く同じ趣旨のことを述べているにもかかわらず、安倍首相に限って「侵略否定」の問題発言で、村山氏や玄葉氏や外務官僚だったら問題ないというのは筋が通らない。東京、朝日、毎日各紙はこの二重基準をどう考えているのか
     こんなことを執拗(しつよう)に何度も繰り返すのだから、特定個人を標的にした悪意あるヘイトスピーチ(憎悪表現)だといわれても仕方あるまい。差別的ですらあると感じるし、少なくともフェアではない。猛省を促したい。(政治部編集委員)
    http://www.sankei.com/politics/news/150129/plt1501290005-n1.html
    70年談話について。1月29日産経新聞が反論しました。
    前回のブログ記事では朝日と毎日の70年談話を紹介しました。詳しくはこちら

    朝日は毎日はいずれも安倍首相の修正姿勢に否定的な考えを表明しましたが、

    今度は産経のターンです。

    産経としては、修正云々というより、朝日、毎日、東京の安倍総理だけを問題視する姿勢がヘイトスピーチだと批判。
    というのも結局「侵略」という言葉の定義が村山談話時代だったから曖昧だったのにもかかわらず、安倍首相が同じことを発言したら批判するのはいかがなものか、という言いぶん。

    まー。NHKの討論番組内での発言そのものっていうか、一連の70年談話報道に対する産経の不満って感じね。
    たしかに侵略の定義が過去から定まっていなかったことに対して安倍首相だけ批判するのはおかしいわよね。ただ朝日、毎日は定義云々ではなくて、継承がちゃんとされるかされないかということを問題視しているわけで、産経が直接議論のカウンターを仕掛けたわけではないですね。

    ただ阿比留さんの記事の中で気になった点
    「自分たちが率先して首相を批判しておきながら、第三者が問題視しているように書く手法もいかがなものかと思う」と書いてありますが・・・・・
    え!?産経新聞さんもその手法使ってない??っというか社会記事なんてそんなんばっかな気がするけど
    記事の中で記者が言いたいことあえて第三者に言わせる。そうすることによって記事に客観性がうまれる。
    これって社会面記事じゃなくて、社説だからいけないってこと?

    そうなのかなぁ。。。だって今回の阿比留さんの記事の最後に

    「こんなことを執拗(しつよう)に何度も繰り返すのだから、特定個人を標的にした悪意あるヘイトスピーチ(憎悪表現)だといわれても仕方あるまい。差別的ですらあると感じるし、少なくともフェアではない。猛省を促したい。」

    ってあるけど。「言われても仕方あるまい」って誰に?
    これがもしヘイトスピーチの専門家の話だったら、あーそうなのかもなって少しは思えるかもしれないけど・・・・
    やっぱりこの表現はやりすぎでしょう。無理矢理感があるし、ここまで言うなら専門家からコメントがほしい

    だって安倍総理は日本の首相という立場の人間なんだから、マスコミが疑心の目で見るのは当然。今更これくらいでヘイトスピーチって言っちゃうの?マスコミが政府の完全いいなりで癒着してしまったらマスコミなんていらないし、それこそ戦争中の大本営発表となんら変わらない
    表現の自由の範囲内だわ

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    『まゆげ』のご褒美待ち。 / anko.gaku_ula


    首相の村山談話の修正?発言から1日。朝日と毎日は社説で触れました。
    読売、産経は今のところ静観です。

    朝日は期待通り猛反発。ただ若干、明後日の方向にむいている気がします。
    毎日は相変わらずパッとしない社説。つまらない。とりあえず「キーワード」抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねないと冒頭では否定的な立ち位置
    【朝日新聞】社説:国会と「70年」―大いに論じよ歴史認識

     第3次安倍内閣が発足してから初の本格論戦の舞台となる通常国会が、きのう開会した。
     成長戦略や安全保障関連など、重要法案が目白押しの国会なのに、安倍首相の演説は来月まで先送りされた。肩すかし感は否めない。
     ところが開会前日に、首相から聞き流すことができない発言が出てきた。戦後70年の「安倍談話」についてである。
     首相はこのところ、戦後50年の「村山談話」や60年の「小泉談話」を「全体として受け継いでいく」と繰り返している。
     その村山談話の根幹は「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と率直に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している点にある。
     首相はおとといのNHK番組で、司会者から「植民地支配や侵略という文言を引き継ぐか」と問われ、こう答えた。
     「いままで重ねてきた文言を使うかどうかでなく、安倍政権としてこの70年をどう考えているかという観点から出したい」 「今までのスタイルを下敷きとして書くことになれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になっていく」
     驚くべき発言だ。
     植民地支配や侵略というかつての日本の行為を明確に認めなければ、村山談話を全体として受け継いだことにはならない。同じ番組で公明党の山口代表が「(談話の継承が)近隣諸国や国際社会にちゃんと伝わる表現でないと意味がない」と語った通りだ。
     こうした表現をめぐる議論を、「こまごまとしたこと」と片づけるわけにはいかない。安倍談話の内容は、中国や韓国だけでなく、東アジアの安定を求める欧米諸国も注目しているからだ。

     最近は封印しているが、安倍氏は村山談話の見直しに意欲を示していた。だが、村山談話はその後のすべての首相が継承し、国際社会でも高い評価が定着している日本外交の基礎である。いかに国会で圧倒的多数を占める政権とて、これをあっさりと覆すことはできない。
     「未来志向」の談話にしたいという思いはわかるにせよ、首相の発言を聞くにつけ、内外からの批判をかわしつつ、村山談話を骨抜きにするための狭き道筋をひたすら探っているように思えてならない。
     談話そのものは国会で審議するものではない。だが、背景にある首相の歴史認識について、国会は大いに論じるべきだ。
    http://www.asahi.com/paper/editorial.html#20150127
    【毎日新聞】社説:戦後70年談話 賢明な判断を求めたい

     安倍晋三首相は8月にも出す戦後70年談話について、戦後50年の村山富市首相談話と戦後60年の小泉純一郎首相談話がともに用いた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫(わ)び」などのキーワード継承に否定的な考えを示した。
     村山談話は日本の姿勢を説明する際の外交資産になってきたのではないか。キーワード抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねない。

     首相は「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてどう考えているかという観点から出したい」と語った。先の大戦に対する痛切な反省と同時に、戦後は自由と民主主義を守り、世界に貢献してきたことにふれ、未来に対する意志を書き込む意向も強調した。
     戦後も70年を数え、各国とも世代交代が進んでいる。この間の平和国家としての歩みが十分理解されているとは言い難い。談話に戦後の総括や未来への展望を織り込むことに、異論はない。その際、過去の反省を前提にしても矛盾はないはずだ。
     村山談話の背景には、歴史認識をめぐってさまざまな意見があることや、戦後処理の多くが未解決のまま残されてきたという問題がある。
     談話が閣議決定されると、その後の歴代内閣はそろってこれを踏襲してきた。小渕恵三内閣は1998年の日韓共同宣言と日中共同宣言で、談話を引用した。小泉内閣は2005年の談話で、政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通じての世界平和と繁栄への貢献に言及しつつ、「戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年」と踏み込んだ。
     村山談話は日本政府の公式見解になり、21世紀のアジア外交を支えてきたと言える。
     いま政治指導者に求められるのは談話踏襲の流れを踏まえつつ、国民全体の歴史認識についてのコンセンサスづくりを促すことだろう。植民地支配や侵略といった文言が、「こまごまとした」問題でないのは言うまでもあるまい。
     安倍首相の発言に、野党などから批判の声が上がった。「過去の反省が飛んでは、戦後70年の歩みを否定することになりかねない」(岡田克也民主党代表)、「キーワードを継承せずに変えると誤ったメッセージを与える」(江田憲司維新の党代表)といった懸念を私たちも共有する。
     談話作成にあたり、首相は有識者会議の議論を踏まえる意向を示している。新談話は首相個人のものではないし、村山談話の真意を伝えながら戦後70年にふさわしいメッセージを出すことはできるはずだ。そのためにはどんな文言が適切か、首相の賢明な判断を求めたい。
    http://mainichi.jp/opinion/news/20150127k0000m070133000c.html

    いずれも内容的には朝日と毎日がいいそうなこと。
    というか朝日の「驚くべき発言だ」って・・・あんだけ安倍叩きしといて今更驚いたのかよ

    国際社会からの批判というのが私てきには気になるところ。少なくとも中韓は激オコしそうだけど。

    「東アジアの安定を求める欧米」って・・・本当なのかなぁ。
    そんないうほど気にかけてるんだろうか。日本は日本で欧米と仲良くやりゃいいじゃん。
    ってかむやみに日本が認めてるからアメリカで慰安婦像とかたてられちまうんだろうし

    というか談話なんて10年ごとにだしてんでしょ?
    もし70年談話がまずいことになってしまったら、80年のときにまともな談話は出せばいいでしょ。

    それに、そもそも談話って出す意味なんかあるの
    そんなもんあるか10年ごとに不必要に中韓から注目されるんじゃん。
    そんなことを国会で議論するなんて税金の無駄遣いでしかないから出さなきゃいいよ。

    これに対する産経の社説も読んでみたいわ。読売はつまらなそうだからそんな期待していない。
    (追記:1月29日 産経新聞阿比留記者が70年談話について執筆しました。詳しくはこちら)

    あと、どうでもいいけど毎日の「コンセンサス」という表現
    日本語でいえば共通認識、文で前にきてる「歴史認識」とかぶるけど、コンセンサスという言葉を使ったのはそれだけかしら。
    いやね。新聞なんて一部のマニアと高齢者しかよまないんだから、こういう表現を安易に使うのは新聞社としてどうかと思う。
    そこまで浸透した外来語なのでしょうか。

    因みに私はやたら外来語を使いたがる意識高い系のビジネスマン、大学生が嫌いです
    それを使いこなす自分がかわいいんだろうなって思うの。

     

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