
戦争放棄 / chidorian
あけましておめでとうございます。ヨムコです。
おせちを母親と一緒に作って女子力をあげようと思いましたが、今回は食べることに専念したわ。
恋も遊びも仕事もおもいのまま、そんな一年にしたいわ
この年になってもお年玉をもらいました。朝にパワースムージ飲みたいからミキサーでも買おうかしら。
さてさて今日の朝刊の話しです。
日本は今年戦後70年を迎えるとのことです。
朝日新聞と産経新聞両紙はいずれも一面トップで「戦後70年」
期待通り視点の違いに新年からハラハラドキドキでした。
でも飲み込んでみて結局はどっちも「すごいよ!日本人」っていう最近のはやりを感じました。
【朝日新聞】
「個の力紡ぎ世界に」(1/1 1面、2面)
戦争からの復興を個々の視点で連載を書いていく模様。
第一回の今日はファッション業界に焦点があてられ、森英恵さんや高田賢三さんが取り上げられていました。
森さんのwiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%8B%B1%E6%81%B5
高田さんのwiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E8%B3%A2%E4%B8%89
88歳にもなる森を六本木に訪ねた。取材の終わり際、彼女はやや唐突にその言葉を口にした。「やっぱり戦争だと思います」。服飾人生の、原点である。
疎開せず、B29の襲来におびえる日々。下宿先で玉音放送を聴き、負けたというより終わったと思った。「あの敗戦で、地球上の日本がいかに小さいかを知りました」(1/1 1面)
憲法で戦争を棄てたその国は、廃墟から経済大国になった。現代史でも珍しい70年もの不戦は、内に新たな文化を育み、外へと送り出す余裕をもたらした。服という実用品で自分らしさを伝える技と熱。ファッションこそ、究極の平和産業なのかもしれない。
「はい。この世界にどっぷり漬かってきた女の実感として、そう思います」と森。「手法は違っても、人間の存在感や人生を表現するのが私たちの仕事。平和でなければあり得ない」(1/1 2面)
「戦争中はひどかったよ」っていう話しではなく「戦後に頑張った人たちがいるから今があるんだよ」っていうメッセージを感じたわ。しかし正直、ファッションと平和ってよくあるトピックなんじゃないかなーって思ってしまいます。高田の言い方は違った。「ファッションはライフスタイルの一大要素。夢であり、生きる上でのビタミン剤です。美しい服を着て、あるいは着た人を見て心が豊になる。最終的には平和に貢献するのかな」(1/1 2面)
【産経新聞】
「時を超え眠り続ける『誇り』」 天皇の島から(1/1 1面、3面)
見出しにみた瞬間、新年早々の産経っぽさにキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! っていう感じ
内容は米軍に「天皇の島」と呼ばれた「パラオ・ペリリュー島」の話し。
その「ペ」島で、島民に対してスーパー優しかった日本軍、圧倒的不利な状況でも「日本を守る」という維持で戦い続けた日本人のビューティフルストーリー米軍に「天皇の島」と言わしめたペリリューでの戦闘は、日本軍将兵が日本と日本人の誇りをかけた象徴的な戦いでもあった(1/1 3面)
「軽機関銃の銃身が熱くてさわれないくらい夢中に撃ちまくった。敵味方入り乱れて、殺したり殺されたりの白兵戦で、地獄絵図そのものだった」
そう述懐する水戸歩兵第2連隊の元軍曹、永井敬司さん(93)は数少ない生還者の一人だ。「食糧や弾丸がすぐに底をついた。空からも海からも補給はなく、米軍の食糧や戦死した米兵から武器と弾薬を奪った。3日も4日も寝ないで戦った」と語る。(1/1 3面)
平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は言う。
「日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だからに死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」(1/1 3面)
当時9歳だったアマレイ・ニルゲサンさん(79)は、夜間を利用して両親らとバベルダオブ島に疎開したといい、こう記憶をたどった。
「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。バベルダオブに着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。家族で日本軍に感謝した」 (1/1 3面)
世間から冷たい目で見られている朝日とネット上では一部に絶大な支持を得ている産経新聞。
上でも書きましたが、いずれの記事も「すごいよ!日本人」っていうメッセージを読み取れてしまいます。
最近のテレビの日本人オシにはうんざりしてたところ、新聞もその流れかーってちょっと萎えちゃいますわ。
しかし戦争70年。私の親も戦争は知りません。次の節目は80年?そしたら今よりもっと当時を語れる人は少なくなるのでしょうね。これが記録を残す意味では最後なのかもしれません。2紙には期待大だわ!
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