『まゆげ』のご褒美待ち。 / anko.gaku_ula


首相の村山談話の修正?発言から1日。朝日と毎日は社説で触れました。
読売、産経は今のところ静観です。

朝日は期待通り猛反発。ただ若干、明後日の方向にむいている気がします。
毎日は相変わらずパッとしない社説。つまらない。とりあえず「キーワード」抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねないと冒頭では否定的な立ち位置
【朝日新聞】社説:国会と「70年」―大いに論じよ歴史認識

 第3次安倍内閣が発足してから初の本格論戦の舞台となる通常国会が、きのう開会した。
 成長戦略や安全保障関連など、重要法案が目白押しの国会なのに、安倍首相の演説は来月まで先送りされた。肩すかし感は否めない。
 ところが開会前日に、首相から聞き流すことができない発言が出てきた。戦後70年の「安倍談話」についてである。
 首相はこのところ、戦後50年の「村山談話」や60年の「小泉談話」を「全体として受け継いでいく」と繰り返している。
 その村山談話の根幹は「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と率直に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している点にある。
 首相はおとといのNHK番組で、司会者から「植民地支配や侵略という文言を引き継ぐか」と問われ、こう答えた。
 「いままで重ねてきた文言を使うかどうかでなく、安倍政権としてこの70年をどう考えているかという観点から出したい」 「今までのスタイルを下敷きとして書くことになれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になっていく」
 驚くべき発言だ。
 植民地支配や侵略というかつての日本の行為を明確に認めなければ、村山談話を全体として受け継いだことにはならない。同じ番組で公明党の山口代表が「(談話の継承が)近隣諸国や国際社会にちゃんと伝わる表現でないと意味がない」と語った通りだ。
 こうした表現をめぐる議論を、「こまごまとしたこと」と片づけるわけにはいかない。安倍談話の内容は、中国や韓国だけでなく、東アジアの安定を求める欧米諸国も注目しているからだ。

 最近は封印しているが、安倍氏は村山談話の見直しに意欲を示していた。だが、村山談話はその後のすべての首相が継承し、国際社会でも高い評価が定着している日本外交の基礎である。いかに国会で圧倒的多数を占める政権とて、これをあっさりと覆すことはできない。
 「未来志向」の談話にしたいという思いはわかるにせよ、首相の発言を聞くにつけ、内外からの批判をかわしつつ、村山談話を骨抜きにするための狭き道筋をひたすら探っているように思えてならない。
 談話そのものは国会で審議するものではない。だが、背景にある首相の歴史認識について、国会は大いに論じるべきだ。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html#20150127
【毎日新聞】社説:戦後70年談話 賢明な判断を求めたい

 安倍晋三首相は8月にも出す戦後70年談話について、戦後50年の村山富市首相談話と戦後60年の小泉純一郎首相談話がともに用いた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫(わ)び」などのキーワード継承に否定的な考えを示した。
 村山談話は日本の姿勢を説明する際の外交資産になってきたのではないか。キーワード抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねない。

 首相は「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてどう考えているかという観点から出したい」と語った。先の大戦に対する痛切な反省と同時に、戦後は自由と民主主義を守り、世界に貢献してきたことにふれ、未来に対する意志を書き込む意向も強調した。
 戦後も70年を数え、各国とも世代交代が進んでいる。この間の平和国家としての歩みが十分理解されているとは言い難い。談話に戦後の総括や未来への展望を織り込むことに、異論はない。その際、過去の反省を前提にしても矛盾はないはずだ。
 村山談話の背景には、歴史認識をめぐってさまざまな意見があることや、戦後処理の多くが未解決のまま残されてきたという問題がある。
 談話が閣議決定されると、その後の歴代内閣はそろってこれを踏襲してきた。小渕恵三内閣は1998年の日韓共同宣言と日中共同宣言で、談話を引用した。小泉内閣は2005年の談話で、政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通じての世界平和と繁栄への貢献に言及しつつ、「戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年」と踏み込んだ。
 村山談話は日本政府の公式見解になり、21世紀のアジア外交を支えてきたと言える。
 いま政治指導者に求められるのは談話踏襲の流れを踏まえつつ、国民全体の歴史認識についてのコンセンサスづくりを促すことだろう。植民地支配や侵略といった文言が、「こまごまとした」問題でないのは言うまでもあるまい。
 安倍首相の発言に、野党などから批判の声が上がった。「過去の反省が飛んでは、戦後70年の歩みを否定することになりかねない」(岡田克也民主党代表)、「キーワードを継承せずに変えると誤ったメッセージを与える」(江田憲司維新の党代表)といった懸念を私たちも共有する。
 談話作成にあたり、首相は有識者会議の議論を踏まえる意向を示している。新談話は首相個人のものではないし、村山談話の真意を伝えながら戦後70年にふさわしいメッセージを出すことはできるはずだ。そのためにはどんな文言が適切か、首相の賢明な判断を求めたい。
http://mainichi.jp/opinion/news/20150127k0000m070133000c.html

いずれも内容的には朝日と毎日がいいそうなこと。
というか朝日の「驚くべき発言だ」って・・・あんだけ安倍叩きしといて今更驚いたのかよ

国際社会からの批判というのが私てきには気になるところ。少なくとも中韓は激オコしそうだけど。

「東アジアの安定を求める欧米」って・・・本当なのかなぁ。
そんないうほど気にかけてるんだろうか。日本は日本で欧米と仲良くやりゃいいじゃん。
ってかむやみに日本が認めてるからアメリカで慰安婦像とかたてられちまうんだろうし

というか談話なんて10年ごとにだしてんでしょ?
もし70年談話がまずいことになってしまったら、80年のときにまともな談話は出せばいいでしょ。

それに、そもそも談話って出す意味なんかあるの
そんなもんあるか10年ごとに不必要に中韓から注目されるんじゃん。
そんなことを国会で議論するなんて税金の無駄遣いでしかないから出さなきゃいいよ。

これに対する産経の社説も読んでみたいわ。読売はつまらなそうだからそんな期待していない。
(追記:1月29日 産経新聞阿比留記者が70年談話について執筆しました。詳しくはこちら)

あと、どうでもいいけど毎日の「コンセンサス」という表現
日本語でいえば共通認識、文で前にきてる「歴史認識」とかぶるけど、コンセンサスという言葉を使ったのはそれだけかしら。
いやね。新聞なんて一部のマニアと高齢者しかよまないんだから、こういう表現を安易に使うのは新聞社としてどうかと思う。
そこまで浸透した外来語なのでしょうか。

因みに私はやたら外来語を使いたがる意識高い系のビジネスマン、大学生が嫌いです
それを使いこなす自分がかわいいんだろうなって思うの。