OLヨムコが新聞よむわよ

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    タグ:戦後70年談話

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    談話室って何を話す店? / takamorry


    【産経新聞】阿比留瑠比の極言御免 村山談話のうさん臭さ

     これは異なことを耳にすると驚いた。自民党の二階俊博総務会長が3日、安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年談話について、こう述べたからだ。

     「できれば全党一致が望ましい。各党と調整を図るのが当然だ。(共産、社民両党とも)私なら話し合いをする」

     はて、過去の首相談話で野党と事前に協議した例があったかしらんと考えたがとんと思い浮かばない。植民地支配と侵略を謝罪した戦後50年の「村山談話」も戦後60年の「小泉談話」も、野党と調整したなんて話は聞いたことがない。

     そもそも、歴史観も国際認識も目指す社会も全く異なる政党の意見・主張を取り入れて、一体どうするというのか。そんなことが可能で有意義だと本気で考えているのか-。

    産経新聞の阿比留記者がコラムで70年談話について各党と調整を図るべきと述べた共産・社民と毎日新聞を超批判しました。

    なんというか。これ読む限り、阿比留さんのいうことが正しそうな気がする。

     一方、1月29日付毎日新聞夕刊の記事「『戦後70年談話』は必要か」には、村山談話発表時の政府高官(匿名)のこんなコメントが載っていた

     「あの談話は、自民党単独でも社会党単独でもなく、いろんな思想の人たちが集まって決定しました。(中略)村山(富市首相)さんの熱意が大きかったのは確かですが、決して個人の思想などではなく、心ある政治家たちや行政の人たちの思いが一つになった内閣総理大臣談話なんです」

     これにも強い違和感を覚えた。この政府高官は、あたかも衆知を結集して談話を作成したかのように語っているが、実際はごく一部の人間で話を進めていた。

     それどころか、村山内閣の閣僚すら事前に談話が発表されることも知らされていなかったのである。村山内閣の総務庁長官だった江藤隆美氏と運輸相だった平沼赳夫氏はかつて、産経新聞の取材にそれぞれ次のように証言している。

     「(8月15日の)閣議で突然、首相談話が出てきて仰天した」(江藤氏)

     「事前の相談は全くなく、唐突に出た。(村山氏は)社会党出身とはいえ、何でこんなの出すのかなと思った」(平沼氏)

     村山氏は自らの内閣の閣僚に対してすら、だまし討ちをかけたといえる。しかも当時の野坂浩賢官房長官は著書で「異議を申し立てる閣僚がいれば、内閣の方針に合わないということで即刻、罷免するつもりでいた」と明かしている。

    ふむむむ。毎日でてきた匿名高官。うさんくさい。やっぱり阿比留さん正しい気がしちゃう・・・証拠だしてきてるし

    でも敢えて毎日新聞も反論してほしいな。どういう経緯でこの匿名高官は村山談話について「いろんな思想から生まれた」とコメントしたのか。言いぶんがあるなら聞きたい

     村山氏自身は『村山富市の証言録』(新生舎出版)の中で、後の首相も村山談話を踏襲すると思ったかと聞かれ、こう答えている。

     「いやいや、そんなことまでは想定してませんでしたね。(中略)後の首相がそれを踏襲してくれるだろうというような、期待はあったにしても、誰がなるかわからないのでね、そこまで考えて談話を出したわけではないね」

     もとより、その程度の話なのである。村山談話を絶対視し、金科玉条のように扱う人々は、どこか政治的意図をうかがわせてうさん臭い
    つまり村山氏自身も村山談話を踏襲してほしいと思っていたわけでもないとのこと

    じゃぁ社民・共産や毎日新聞、朝日新聞などの「国会で話し合おう」というのはどこから出てきた言葉なのか

    っていうか前もいったけど、別に談話なんて発表しなくていいじゃん。
    周辺諸国とのトラブルのもとになるだけ。
    どうせその時代によって主張・認識はかわってくるのだから

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    The outbreak of the war! / MIKI Yoshihito (´・ω・)


    阿比留瑠比の極言御免 メディアのヘイトスピーチ

     またかとうんざりし、気がめいった。安倍晋三首相が今夏に発表する戦後70年の首相談話をめぐり、27日付の東京新聞が平成7年の「村山談話」継承を求める社説でこう書いていたからである。
     「首相はかつて『侵略の定義は定まっていない』と国会答弁した。侵略を正当化する意図を疑われ、国際社会の一部から『歴史修正主義的』と厳しい視線が注がれている」
     朝日新聞と毎日新聞の4日付社説もそれぞれ、同様のことを指摘していた。
     「自民党議員の質問に、『侵略の定義は定まっていない』と応じて批判を浴びた」(朝日)
     「首相自身も『侵略の定義は定まっていない』と述べて物議を醸したことがある」(毎日)

     自分たちが率先して首相を批判しておきながら、第三者が問題視しているように書く手法もいかがなものかと思うが、問題はそれだけではない。
    これらの社説を座視できないのは、何よりこれが首相への偏見や無知に基づく不公正で不適切な見解の表明だからだ。
     以前から当欄で繰り返し指摘してきたことだが、馬の耳に念仏のようなのでもう一度書く。村山談話の発表者である村山富市元首相自身が7年10月の衆院予算委員会で、次のように答弁しているのである。
     「侵略という言葉の定義については、国際法を検討してみても、武力をもって他の国を侵したというような言葉の意味は解説してあるが、侵略というものがどういうものであるかという定義はなかなかない」
     つまり、安倍首相はあくまで従来の政府見解をそのまま述べたにすぎない。現に第1次安倍内閣当時の18年10月にも、こんな政府答弁書を閣議決定している。
     「『侵略戦争』と『戦争責任』の概念について、国際法上確立されたものとして定義されているとは承知していない」  これだけではない。麻生太郎内閣時代の21年4月の衆院決算行政監視委員会では、外務省の小原雅博大臣官房参事官(当時)もこう答弁した。
     「さまざまな議論が行われていて、確立された法的概念としての侵略の定義はない」
     さらに、民主党の野田佳彦内閣時代の24年8月の参院外交防衛委員会では、玄葉光一郎外相(現民主党選対委員長)もこう述べた。
     「何が侵略に当たるか当たらないかというのは論争があるところで、そこにはある意味、価値観、歴史観が入り込む余地があるのだろう。だからなかなか明確な定義というものができないのかなと」
     一方、毎日新聞は25年12月27日付社説でも安倍首相を批判して「首相は国会で、大戦について『侵略の定義は定まっていない』と侵略を否定したと受け取られかねない発言をした」と記している。
     全く同じ趣旨のことを述べているにもかかわらず、安倍首相に限って「侵略否定」の問題発言で、村山氏や玄葉氏や外務官僚だったら問題ないというのは筋が通らない。東京、朝日、毎日各紙はこの二重基準をどう考えているのか
     こんなことを執拗(しつよう)に何度も繰り返すのだから、特定個人を標的にした悪意あるヘイトスピーチ(憎悪表現)だといわれても仕方あるまい。差別的ですらあると感じるし、少なくともフェアではない。猛省を促したい。(政治部編集委員)
    http://www.sankei.com/politics/news/150129/plt1501290005-n1.html
    70年談話について。1月29日産経新聞が反論しました。
    前回のブログ記事では朝日と毎日の70年談話を紹介しました。詳しくはこちら

    朝日は毎日はいずれも安倍首相の修正姿勢に否定的な考えを表明しましたが、

    今度は産経のターンです。

    産経としては、修正云々というより、朝日、毎日、東京の安倍総理だけを問題視する姿勢がヘイトスピーチだと批判。
    というのも結局「侵略」という言葉の定義が村山談話時代だったから曖昧だったのにもかかわらず、安倍首相が同じことを発言したら批判するのはいかがなものか、という言いぶん。

    まー。NHKの討論番組内での発言そのものっていうか、一連の70年談話報道に対する産経の不満って感じね。
    たしかに侵略の定義が過去から定まっていなかったことに対して安倍首相だけ批判するのはおかしいわよね。ただ朝日、毎日は定義云々ではなくて、継承がちゃんとされるかされないかということを問題視しているわけで、産経が直接議論のカウンターを仕掛けたわけではないですね。

    ただ阿比留さんの記事の中で気になった点
    「自分たちが率先して首相を批判しておきながら、第三者が問題視しているように書く手法もいかがなものかと思う」と書いてありますが・・・・・
    え!?産経新聞さんもその手法使ってない??っというか社会記事なんてそんなんばっかな気がするけど
    記事の中で記者が言いたいことあえて第三者に言わせる。そうすることによって記事に客観性がうまれる。
    これって社会面記事じゃなくて、社説だからいけないってこと?

    そうなのかなぁ。。。だって今回の阿比留さんの記事の最後に

    「こんなことを執拗(しつよう)に何度も繰り返すのだから、特定個人を標的にした悪意あるヘイトスピーチ(憎悪表現)だといわれても仕方あるまい。差別的ですらあると感じるし、少なくともフェアではない。猛省を促したい。」

    ってあるけど。「言われても仕方あるまい」って誰に?
    これがもしヘイトスピーチの専門家の話だったら、あーそうなのかもなって少しは思えるかもしれないけど・・・・
    やっぱりこの表現はやりすぎでしょう。無理矢理感があるし、ここまで言うなら専門家からコメントがほしい

    だって安倍総理は日本の首相という立場の人間なんだから、マスコミが疑心の目で見るのは当然。今更これくらいでヘイトスピーチって言っちゃうの?マスコミが政府の完全いいなりで癒着してしまったらマスコミなんていらないし、それこそ戦争中の大本営発表となんら変わらない
    表現の自由の範囲内だわ

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    『まゆげ』のご褒美待ち。 / anko.gaku_ula


    首相の村山談話の修正?発言から1日。朝日と毎日は社説で触れました。
    読売、産経は今のところ静観です。

    朝日は期待通り猛反発。ただ若干、明後日の方向にむいている気がします。
    毎日は相変わらずパッとしない社説。つまらない。とりあえず「キーワード」抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねないと冒頭では否定的な立ち位置
    【朝日新聞】社説:国会と「70年」―大いに論じよ歴史認識

     第3次安倍内閣が発足してから初の本格論戦の舞台となる通常国会が、きのう開会した。
     成長戦略や安全保障関連など、重要法案が目白押しの国会なのに、安倍首相の演説は来月まで先送りされた。肩すかし感は否めない。
     ところが開会前日に、首相から聞き流すことができない発言が出てきた。戦後70年の「安倍談話」についてである。
     首相はこのところ、戦後50年の「村山談話」や60年の「小泉談話」を「全体として受け継いでいく」と繰り返している。
     その村山談話の根幹は「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と率直に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している点にある。
     首相はおとといのNHK番組で、司会者から「植民地支配や侵略という文言を引き継ぐか」と問われ、こう答えた。
     「いままで重ねてきた文言を使うかどうかでなく、安倍政権としてこの70年をどう考えているかという観点から出したい」 「今までのスタイルを下敷きとして書くことになれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉が入った』というこまごまとした議論になっていく」
     驚くべき発言だ。
     植民地支配や侵略というかつての日本の行為を明確に認めなければ、村山談話を全体として受け継いだことにはならない。同じ番組で公明党の山口代表が「(談話の継承が)近隣諸国や国際社会にちゃんと伝わる表現でないと意味がない」と語った通りだ。
     こうした表現をめぐる議論を、「こまごまとしたこと」と片づけるわけにはいかない。安倍談話の内容は、中国や韓国だけでなく、東アジアの安定を求める欧米諸国も注目しているからだ。

     最近は封印しているが、安倍氏は村山談話の見直しに意欲を示していた。だが、村山談話はその後のすべての首相が継承し、国際社会でも高い評価が定着している日本外交の基礎である。いかに国会で圧倒的多数を占める政権とて、これをあっさりと覆すことはできない。
     「未来志向」の談話にしたいという思いはわかるにせよ、首相の発言を聞くにつけ、内外からの批判をかわしつつ、村山談話を骨抜きにするための狭き道筋をひたすら探っているように思えてならない。
     談話そのものは国会で審議するものではない。だが、背景にある首相の歴史認識について、国会は大いに論じるべきだ。
    http://www.asahi.com/paper/editorial.html#20150127
    【毎日新聞】社説:戦後70年談話 賢明な判断を求めたい

     安倍晋三首相は8月にも出す戦後70年談話について、戦後50年の村山富市首相談話と戦後60年の小泉純一郎首相談話がともに用いた「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫(わ)び」などのキーワード継承に否定的な考えを示した。
     村山談話は日本の姿勢を説明する際の外交資産になってきたのではないか。キーワード抜きの談話は国際社会との関係を損ないかねない。

     首相は「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍内閣としてどう考えているかという観点から出したい」と語った。先の大戦に対する痛切な反省と同時に、戦後は自由と民主主義を守り、世界に貢献してきたことにふれ、未来に対する意志を書き込む意向も強調した。
     戦後も70年を数え、各国とも世代交代が進んでいる。この間の平和国家としての歩みが十分理解されているとは言い難い。談話に戦後の総括や未来への展望を織り込むことに、異論はない。その際、過去の反省を前提にしても矛盾はないはずだ。
     村山談話の背景には、歴史認識をめぐってさまざまな意見があることや、戦後処理の多くが未解決のまま残されてきたという問題がある。
     談話が閣議決定されると、その後の歴代内閣はそろってこれを踏襲してきた。小渕恵三内閣は1998年の日韓共同宣言と日中共同宣言で、談話を引用した。小泉内閣は2005年の談話で、政府開発援助(ODA)や国連平和維持活動(PKO)などを通じての世界平和と繁栄への貢献に言及しつつ、「戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年」と踏み込んだ。
     村山談話は日本政府の公式見解になり、21世紀のアジア外交を支えてきたと言える。
     いま政治指導者に求められるのは談話踏襲の流れを踏まえつつ、国民全体の歴史認識についてのコンセンサスづくりを促すことだろう。植民地支配や侵略といった文言が、「こまごまとした」問題でないのは言うまでもあるまい。
     安倍首相の発言に、野党などから批判の声が上がった。「過去の反省が飛んでは、戦後70年の歩みを否定することになりかねない」(岡田克也民主党代表)、「キーワードを継承せずに変えると誤ったメッセージを与える」(江田憲司維新の党代表)といった懸念を私たちも共有する。
     談話作成にあたり、首相は有識者会議の議論を踏まえる意向を示している。新談話は首相個人のものではないし、村山談話の真意を伝えながら戦後70年にふさわしいメッセージを出すことはできるはずだ。そのためにはどんな文言が適切か、首相の賢明な判断を求めたい。
    http://mainichi.jp/opinion/news/20150127k0000m070133000c.html

    いずれも内容的には朝日と毎日がいいそうなこと。
    というか朝日の「驚くべき発言だ」って・・・あんだけ安倍叩きしといて今更驚いたのかよ

    国際社会からの批判というのが私てきには気になるところ。少なくとも中韓は激オコしそうだけど。

    「東アジアの安定を求める欧米」って・・・本当なのかなぁ。
    そんないうほど気にかけてるんだろうか。日本は日本で欧米と仲良くやりゃいいじゃん。
    ってかむやみに日本が認めてるからアメリカで慰安婦像とかたてられちまうんだろうし

    というか談話なんて10年ごとにだしてんでしょ?
    もし70年談話がまずいことになってしまったら、80年のときにまともな談話は出せばいいでしょ。

    それに、そもそも談話って出す意味なんかあるの
    そんなもんあるか10年ごとに不必要に中韓から注目されるんじゃん。
    そんなことを国会で議論するなんて税金の無駄遣いでしかないから出さなきゃいいよ。

    これに対する産経の社説も読んでみたいわ。読売はつまらなそうだからそんな期待していない。
    (追記:1月29日 産経新聞阿比留記者が70年談話について執筆しました。詳しくはこちら)

    あと、どうでもいいけど毎日の「コンセンサス」という表現
    日本語でいえば共通認識、文で前にきてる「歴史認識」とかぶるけど、コンセンサスという言葉を使ったのはそれだけかしら。
    いやね。新聞なんて一部のマニアと高齢者しかよまないんだから、こういう表現を安易に使うのは新聞社としてどうかと思う。
    そこまで浸透した外来語なのでしょうか。

    因みに私はやたら外来語を使いたがる意識高い系のビジネスマン、大学生が嫌いです
    それを使いこなす自分がかわいいんだろうなって思うの。

     

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