OLヨムコが新聞よむわよ

20代独身OLが新聞を読み比べます。

    こんにちは、新聞ヨムコです。趣味は新聞です。
    当ブログでは新聞の報道姿勢比較、事件を深く掘り下げ、はたまたくすっと笑えるような記事を紹介します。おもしろい記事はリツイートやシェアしてね!

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    タグ:産経新聞

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    道頓堀 / Richard, enjoy my life!


    今年に入って3日もたちました。実家を出て関西へ戻ってきました。ヨムコです。
    頑張って昨年25日まで投函した80枚の年賀状。元日までに私の家に届いたのは5枚。うち3枚は家族から。
    この0.0625という回収率。ピッチャーですらもっと打率は高いわ。
    来年からこの習わしごとをやめようかしら・・・・

    さて3日の各紙紙面を比較するわよ。


    元旦午前0時すぎに旅行中の韓国人高校生が道頓堀川して死亡した事案

    【共同通信】道頓堀、遺体は韓国の高3男子 ミナミの橋から飛び込み

     大阪府警は2日、大阪市中央区の繁華街ミナミの橋から1日に道頓堀川に飛び込み死亡した男性を、韓国人旅行客で高校3年のコン・ミンウクさん(18)と確認した。
     南署によると、新年を祝うために飛び込んだとみられる。上半身裸でズボンだけをはいた状態だった。父親が来日して遺体を確認した。
    http://www.47news.jp/CN/201501/CN2015010201000967.html

    亡くなったコンさんのご冥福をお祈りします。

    さて、「道頓堀に飛び込めば死にこともありますよ」っていうのは歴史を知ればわかることです。過去に死亡例があるのですから。
    つまり「正月に餅をのどにつまらせて亡くなった人」と “ある意味” 同じレベル
    ただこの件は餅ほど死亡例があるわけでもなく、「韓国人」というキーワードが入っています。しかし、上の記事にはのっていませんが、カウントダウンに合わせて60人ほどがダイブしたとのこと。特別この高校生だけがダイブをしていたわけではなさそう

    各紙がこのニュースをどう見るのか、記事の扱いを見てみましょう

    「扱い」とは「見出しの大きさ」を表しています。「1段」と記載されている場合は見出し(記事のタイトル)が新聞紙面の1段分でまとめられている場合。つまり扱いが小さい。2段、3段と段数が大きくなればなるほど記事の扱いが大きくなっていきます。新聞社としてニュース価値が高いと判断していることを表します。



    【朝日新聞】
    道頓堀飛び込み 韓国の18歳死亡 (1/3 31面 扱い:1段) 

    【毎日新聞】
    道頓堀飛び込み 韓国の高3死亡 年越し63人ダイブ(1/3 27面 扱い:1段

    【読売新聞】
    道頓堀飛び込み 18歳死亡 大阪 旅行中の韓国人高校生(1/3 28面 扱い:3段

    【産経新聞】
    道頓堀に飛び込み死亡 新年祝い? 韓国の高3男子(1/3 27面 扱い:3段写真付き



    段って何? 段数の説明
    見出しの書きぶりは各社ほぼ一緒。道頓堀、韓国、高校生といったキーワードちりばめています。
    扱いを比べると産経が写真付きで一番大きいわね。その次に写真はないけど段数は一緒の読売朝日毎日小さくあっさりと。

    読産、朝毎と別れた理由はなんでしょうか。「韓国人」というキーワードにどう反応するかは、一つの判断要因だったと思います。もし亡くなったのが日本人であれば、もしかしたら扱いは各社一緒になっていたかもしれませんね。

    一方で他のキーワードに反応した可能性があるわね。「餅をのどにつまらせて死亡」するよりも道頓堀で死亡する方が話題性があるのは事実です。新聞紙面を読み応えあるものにするため、「事故があったことを知らせる」というよりも「話題ものを提供する」という意味合いで扱いを大きくしたのかも

    みなさんはどう思いますか?私は。。。韓国人かどうかっていうのはどうでもいいかな。話題性も、ヤンヤ騒ぐことでもないかな。っというスタンス。

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    戦争放棄 / chidorian

    あけましておめでとうございます。ヨムコです。
    おせちを母親と一緒に作って女子力をあげようと思いましたが、今回は食べることに専念したわ。

    恋も遊びも仕事もおもいのまま、そんな一年にしたいわ
    この年になってもお年玉をもらいました。朝にパワースムージ飲みたいからミキサーでも買おうかしら。

    さてさて今日の朝刊の話しです。
    日本は今年戦後70年を迎えるとのことです。
    朝日新聞と産経新聞両紙はいずれも一面トップで「戦後70年」
    期待通り視点の違いに新年からハラハラドキドキでした。
    でも飲み込んでみて結局はどっちも「すごいよ!日本人」っていう最近のはやりを感じました


    【朝日新聞】
    「個の力紡ぎ世界に」(1/1 1面、2面)

    戦争からの復興を個々の視点で連載を書いていく模様。
    第一回の今日はファッション業界に焦点があてられ、森英恵さんや高田賢三さんが取り上げられていました。
    森さんのwiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E8%8B%B1%E6%81%B5
    高田さんのwiki→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E8%B3%A2%E4%B8%89

     88歳にもなるを六本木に訪ねた。取材の終わり際、彼女はやや唐突にその言葉を口にした。「やっぱり戦争だと思います」。服飾人生の、原点である。
     疎開せず、B29の襲来におびえる日々。下宿先で玉音放送を聴き、負けたというより終わったと思った。「あの敗戦で、地球上の日本がいかに小さいかを知りました」(1/1 1面)

     憲法で戦争を棄てたその国は、廃墟から経済大国になった。現代史でも珍しい70年もの不戦は、内に新たな文化を育み、外へと送り出す余裕をもたらした。服という実用品で自分らしさを伝える技と熱。ファッションこそ、究極の平和産業なのかもしれない
     「はい。この世界にどっぷり漬かってきた女の実感として、そう思います」「手法は違っても、人間の存在感や人生を表現するのが私たちの仕事。平和でなければあり得ない」(1/1 2面)

     高田の言い方は違った。「ファッションはライフスタイルの一大要素。夢であり、生きる上でのビタミン剤です。美しい服を着て、あるいは着た人を見て心が豊になる。最終的には平和に貢献するのかな」(1/1 2面)

    「戦争中はひどかったよ」っていう話しではなく「戦後に頑張った人たちがいるから今があるんだよ」っていうメッセージを感じたわ。しかし正直、ファッションと平和ってよくあるトピックなんじゃないかなーって思ってしまいます。


    【産経新聞】

    「時を超え眠り続ける『誇り』」 天皇の島から(1/1 1面、3面)

    見出しにみた瞬間、新年早々の産経っぽさにキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!! っていう感じ
    内容は米軍に「天皇の島」と呼ばれた「パラオ・ペリリュー島」の話し。

     米軍に「天皇の島」と言わしめたペリリューでの戦闘は、日本軍将兵が日本と日本人の誇りをかけた象徴的な戦いでもあった(1/1 3面)

    その「ペ」島で、島民に対してスーパー優しかった日本軍、圧倒的不利な状況でも「日本を守る」という維持で戦い続けた日本人のビューティフルストーリー

     「軽機関銃の銃身が熱くてさわれないくらい夢中に撃ちまくった。敵味方入り乱れて、殺したり殺されたりの白兵戦で、地獄絵図そのものだった」
     そう述懐する水戸歩兵第2連隊の元軍曹、永井敬司さん(93)は数少ない生還者の一人だ。「食糧や弾丸がすぐに底をついた。空からも海からも補給はなく、米軍の食糧や戦死した米兵から武器と弾薬を奪った。3日も4日も寝ないで戦った」と語る。(1/1 3面)

     平成21年から25年まで駐日パラオ大使だったミノル・ウエキさん(83)は言う。
     「日本軍は、ペリリューの島民を全員、疎開させることで保護してくれた。だからに死傷者は出なかった。日本軍への感謝は何年たっても忘れない」(1/1 3面)

     当時9歳だったアマレイ・ニルゲサンさん(79)は、夜間を利用して両親らとバベルダオブ島に疎開したといい、こう記憶をたどった。
     「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。バベルダオブに着いた後も、憲兵が2日かけてジャングルの中をエスコートしてくれた。なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか分からなかった。2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、もし、残っていたら死んでいたと思った。家族で日本軍に感謝した」 (1/1 3面)



    世間から冷たい目で見られている朝日とネット上では一部に絶大な支持を得ている産経新聞。
    上でも書きましたが、いずれの記事も「すごいよ!日本人」っていうメッセージを読み取れてしまいます。
    最近のテレビの日本人オシにはうんざりしてたところ、新聞もその流れかーってちょっと萎えちゃいますわ。

    しかし戦争70年。私の親も戦争は知りません。次の節目は80年?そしたら今よりもっと当時を語れる人は少なくなるのでしょうね。これが記録を残す意味では最後なのかもしれません。2紙には期待大だわ!

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